地域の在宅看取り率を3割まで高めた「四日市モデル」の仕掛け人―医療法人SIRIUS いしが在宅ケアクリニック 理事長 石賀 丈士―

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三重県北勢地域の中心都市、四日市市。三岐鉄道「山城」駅からのどかな田園風景の中を5分ほど歩くと「いしが在宅ケアクリニック」が見えてきます。便の良い場所とは決して言えない地域にあるクリニック。しかし全国から視察やメディア取材が絶えません。一地方都市の在宅看取り率を、数年で日本有数にしてみせた四日市市。厚生労働省も注目するその在宅医療提供体制「四日市モデル」の仕掛け人が、同クリニックを開業した石賀丈士理事長です。

今回は石賀先生を訪ね、四日市モデルの成り立ちや、自宅で看取ることに対する先生の想いなどについて、お話を聞かせていただきました。


<ドクタープロフィール>

▲石賀 丈士(いしが・たけし)さん

医療法人SIRIUS いしが在宅ケアクリニック 理事長

2001年、三重大学医学部を卒業後、三重大学附属病院第二内科、山田赤十字病院(現・伊勢赤十字病院)内科・呼吸器科に勤務。2007年、介護とマネジメントを学ぶため、しもの診療所所長を2年間務め、2009年7月、三重県四日市市に緩和ケアを中心とした在宅医療専門の「いしが在宅ケアクリニック」を開業。

 

開業当時から目標は、在宅緩和ケアで日本一になること

―在宅医療の道に進んだ動機について、教えていただけますか?

同居していた祖母の影響が大きいです。全盲になり認知症になってから10年間、なぜか祖母は「孫は地域医療で活躍している」と言い続けていたんです。私は当時、農学部を目指していたのですが…、センター試験直前に祖母が亡くなったこともあって、まるで導かれるように医学部を受けている自分がいました。

 

―おばあ様の期待に応えようと、地域医療で活躍するドクターを目指したのですね。

ところが入ってみると医学部の勉強には全く興味を持てず、4年間はアルバイトに精を出す日々でした。それが、5年次で実習が始まり、大学病院で患者さんの壮絶な死を目の当たりにして変わりました。衝撃でした。立派な設備、優秀な医師が揃っているのに、なぜ、こんなに痛がって死ななくてはならないのか。しかも多くの医師は患者の痛みに無頓着。こんなことがあっていいのか!?と強い憤りを感じたのです。私の祖母は亡くなる前日まで普通に食事もし、自宅で穏やかな死を迎えましたから、その対比もあったのだと思います。

 

―憤りが、緩和ケアを学ぶきっかけになったと。

「こんなんあかんわ」と思って、海外の本などを読み、緩和ケアについて猛勉強し始めました。痛みを取ってあげられる医者になりたいと思ったのはこの頃です。そして、これって病院でやるより家や施設といったリラックスできる場所でやった方が上手くいくんじゃないか、がん患者さんだって旅行に行くなど楽しく過ごせるんじゃないか、と思ったのです。脳裏には、祖母の穏やかな最期がありました。当時、在宅医療という概念は自分にはなかったのですが、何をやったらいいか考えながら、とにかく5年くらいで急性期医療を学びきってしまおう、と決めました。

 

―大学病院勤務の後、山田赤十字病院にご勤務された。

そうです。内科と呼吸器科と緩和ケアチーム、3つを掛け持ちしながら、人の3倍働こうと思って仕事をしていました。だから、5年で15年分学んだと自分で納得して辞めました。その後、日赤という看板はやはり地方では大きいので、その権威を一旦捨てなければという思いと、開業する前に介護やマネジメントを学びたいという気持ちもあり、2年間、四日市市のしもの診療所の所長を務めました。

 

―そして2009年、いしが在宅ケアクリニックをこの地に開設。四日市市を選ばれたわけは?

自分がやろうとしている在宅医療の形、それは「スペシャリストの集団を作る」でした。そのためにはドクターは4人以上必要。医師として育ててもらった三重県にあり、地方とはいえ名古屋から30~40分圏内、ここでなら医者は集められると見込んで四日市市を選んだんです。

 

―四日市でスペシャリストの集団を作る。具体的なビジョンを持っての開業だったのですね。

はい。在宅緩和ケアで日本一になると決めていましたから、かなり具体的なイメージを持っていました。こだわったのは、他の在宅クリニックの情報を一切遮断したこと。見たり聞いたりしてしまうと既存の延長線のものしか作れないですから。どういう機器を使い、どういうスタッフでやっているのかなど、全くどこも参考にすることなく、自分の頭の中のイメージを形にしてきました。

 

症状による住み分けが「四日市モデル」の原型

―独自のスタイルがメディアの注目を集めていますね。

他と違うことばかりしているので、目立つんでしょうね(笑)。当院では新規の患者さんは6割ががん、1割が難病です。圧倒的に「がん」が多い。一昨年は、当クリニックの年間看取り数は317名で、西日本で1位。また昨年は地域全体で、自宅と施設を合わせた看取り率が30.5%に向上しました。

 

―自宅・施設の看取りは進み、病院死は全国最小レベルになった「四日市モデル」として、厚生労働省も重要視しているそうですね。

当クリニックががんなど重度の患者さんを診ることで、近隣の医療機関やかかりつけ医の先生方は負担が減り、慢性疾患や認知症など比較的軽度の患者さんを中心に診ることができる。競合せず、完全に住み分けた結果、車両の両輪のように全体として在宅医療の普及が速く進むようになった、これが四日市モデルの原型です。

また、当院の特徴としては既存の訪問看護ステーションやケアマネジャーさん、ヘルパーさんらの仕事を侵さない、ということがあります。彼らの領域を侵さないよう、自院で訪問看護ステーションなどを作ることはしません。

そして、医師のQOL(quality of life)を保っているのも大きな特徴です。これまで当クリニックでは開業以外の理由で医師の離職はありません。これは医師のQOLを保てているからですね。私自身、開業当初QOLは全く保てていなかったんですけど、今ではプライベートの時間をしっかり確保できています。

 

―1人も離職していないのはすごいですね。

よく、雇った医師がすぐに辞めてしまうという相談を受けますが、ほとんどの場合、どうやら新たに入ってきた医師に自分と同等の負担を求めてしまう場合が多いようですね。

そこは、創業者と二人目は違うという認識でいないといけない。開業して2年2ヶ月で女性の医師が1人入ってくれたとき、夜の当番を月に「7日間」だけ彼女に任せました。8日以上夜勤を行うと、うつ病発症率が高まると言われているからです。医師が一人増えるたび7日ずつ渡していき、少しずつ自分が持っていた負担と責任を分担していくんです。自分がラクになったのは4~5年経ってからですが、今は4人のスペシャリストな医師たちがクリニックを回してくれています。

当クリニックは土・日・祝は休みですし、終業は17時。有給休暇も全消化。もちろん、医師もスタッフもです。なかなかすごいでしょう。うちで勉強しようと毎日京都から通っている先生もいます。

 

―羨ましい働き方です。QOLも魅力ですが、そこまでして石賀先生の元で修行したい、という方もいるということなのですね。

やはり、地方ではあるけどがん患者さんの症例数などは全国有数だと思うし、講演でもがん、看取りといったテーマに絞り、ある種、戦略的に活動してきましたから。がんに特化したクリニックが少ないので、そこが売りとなって遠方からでも通いたいと思ってもらえるのでしょう。QOLとやりがい、そして症例数ですね。末期のがん患者さんが常時50~60名いて、学べる経験値が圧倒的だというのも強みです。

 

―「四日市モデル」は、他の自治体でも取り入れることは可能でしょうか。

四日市市の人口は約31万人ですが、10万人以上の都市であれば、医師以外のインフラというのは揃っていると私は思っています。10万人以下の自治体の場合は、また別のモデルを考えないといけませんが、10万人以上であれば、医師が4人揃えばほぼ解決できるはずです。医師1人では潰れてしまいますから、3人、4人を集めるノウハウというのが重要ですよね。そのためには、経営サイドはどうすれば医師が集まるか、仕組みから変えていかないといけません。

今の若い世代の医師にアンケートをとると、働く目的の1位はQOLなんですよ。この事実を経営サイドも受け止めて、どうすれば優秀な医者が集まるかっていう、仕組みから変えてかないといけない。

▲「在宅の普及が難しい理由として、日本人の死生観が変わったからだとか、介護力が足りないからだとか、核家族化、貧困が進んでいるからだとか、いろいろ言われていますが、私に言わせればそれは全部、医療界の言い訳ですね。医師さえ揃えばできるんだ、ということを、四日市モデルで示したいんです」と話す石賀先生。

 

医療は究極のサービス業

―石賀先生は、開業を前提としているドクターも、積極的に採用されているのですね。

うちで修行した後、三重県内での独立や地元に戻って開業というのも応援しています。一昨年1人目の開業者が出ました。今年も2人が開業予定です。ノウハウは全部持って行っていいよ、スタッフも引き抜きたかったらどうぞ、と伝えています。うちのスタッフはスペシャリストが揃っているので、1人でも2人でも連れていくと導入がスムーズですからね。スタッフを引き抜かれたらそれは私のところよりも魅力があるということですから、私自身ももっと頑張らないといけないと気合が入ります(笑)

 

―開業支援までされるのは、在宅医療を広げたいというお気持ちからなのですか?

はい。自分の所だけ潤っても仕方ない。正しい在宅緩和ケアをやっている人を増やしたい。「1人で年間50人看取れる緩和ケア医を育てる」というのが当クリニックのコンセプトです。ですので、地域のかかりつけ医にも年間5人以上を、在宅にシフトした在宅療養支援診療所なら20人以上を看取ってください、とお願いしています。その数字を無理だよと言う人もいましたが、実際は5~10人看取ったところが四日市市内でも15か所と増えてきています。20人以上を看取る所も3か所出てきた。確実に地域の意識改革と底上げは進んでいます。

 

―採用した医師の教育で、何か工夫されていることはありますか?

最初の1ヶ月は私に密着して現場をよく見てもらっています。話し方、仕草、患者さんと目線を合わせるとか、おなかを触るとか、私の立ち振る舞い・現場に臨むスタンスなどを全て見てもらいます。我々は命を扱うサービス業なんだ、医療は究極のサービス業なんだ、と基本姿勢を1ヶ月で叩き込むわけです。その後は自己裁量に任せていますが、朝夕のミーティングで先輩医師から学び、同行する看護師から学ぶ、ということを意識してもらっています。

私は看護師に対しては、絶対の信頼を置いています。彼らは病気だけを見がちな医師と違い、トータルで患者さんの生活や家族のことを広い視野で見ているから、医師にとっても最良のアドバイザーになってくれるんです。うちのクリニックは圧倒的に看護師を重視してますね。

 

▲「スタッフ全員を幸せにしたい」とホームページに書かれている通り、同クリニックでは土・日・祝休み、17時終業、有給休暇全消化、夜間休日はすべて医師が対応するなど、スタッフが疲弊しない仕組みづくりをしている。5名でスタートしたクリニックだが、現在は常勤医8名、非常勤医1名、看護師12名、医療事務14名、ケアマネジャー4名の構成。

 

命の尊さや死について、子供たちに考えてもらう取り組みも

―在宅医療の普及のためにご著書も2冊、出版されていますね。その他の活動についても教えてください。

今回出した本は中国語訳もされて、中国語圏のアジア各国でも発売されることが決まりました。本は、一般の人に在宅医療というものを知ってもらう手段だと考えています。講演活動もしていて、これは医師を集める手段としても行っています。他にはライフワークとして子供たちの「命の教育」にも力を入れています。

 

―命の教育。それはなぜですか?

今の日本では、自宅で亡くなる人はたったの1割。だから子供たちが「死」を見る機会がない。あまり焦点があたっていませんが、中学生に悩みについてのアンケートをとると、人間関係や容姿が上位にきますが、実は6番目に「なぜ人を殺してはいけないのか」というのが入ってくるんですよ。死を知らないからこそ、死に対する好奇心が異常に強くなってしまう。

 

―それは良くない。本来は子供でも死を理解できるのでしょうか。

身近で死を見ていれば、9歳までに理解できると言われています。死というのは、おじいちゃん、おばあちゃんが命の尊さを学ばせる最後の大仕事として、子供たちに見せてあげるべきものなんです。昔はそういう文化があったのに、日本人はそれを放棄してしまった。40年くらい前までは、自宅で亡くなるのは普通のことでしたよね。たった40年くらいの変化ならすぐに押し戻せると、私は思っています。だから、5割は家や施設で看取るという社会を築きたい。それを成し遂げるために、在宅医療の普及に力を入れているのです。

 

―命の教育は、近隣の中学校に出向いてお話をされているのですよね。

「いのちの授業」と銘打ち、看取りの風景や、亡くなった後におじいちゃん、おばあちゃんの体を拭いている子供たちの写真などを、中学生たちに見てもらいます。反抗期の男の子でも、結構、泣いてくれるんですよ。疑似体験ですが「たとえ実体験の3割であっても写真と音楽と話で伝わればいい」と思ってやっています。

 

▲「いのちの授業」で使われる写真を見せていただいた。住み慣れた場所で家族に囲まれて、安らいだ表情をした患者さんたち。今はもうこの世におられない方々が、カメラに向かってとても素敵な笑顔を向けている。それだけで取材チーム一同、言葉を失い涙ぐんでしまった。

 

西日本の在宅スペシャリスト育成拠点を目指して

―自宅で看取るということに対する、石賀先生の想いが伝わってきます。今後のビジョンをお聞かせいただけますか?

今、在宅医療を研修としてきちんと学べるのは、東京など大都市に限られています。そうやって、人材が都会にばかり流れても地方は育たないので、私は2年後くらいを目途にここに研修センターをつくり、中部、関西から「在宅を学びたい」という人を何人でも受け入れる体制を作りたい。まず、そういう目標があります。1、2年働いて、独立したいという人を育てていく、年間50人看取れるスペシャリストを、10年で最低でも50人は育てたいと思っています。

 

―10年で50人の在宅医療のスペシャリストを輩出!

その50人がまた、それぞれ50人育ててほしいです。「四日市モデル」ももっと突き詰めて、実績をあげ、2025年までには完成させたい。日本が多死時代になると言われる2025年~2040年には、「四日市でできたんだから」とこのモデルが全国に広がっていくことをイメージしています。2040年以降は今度はアジアの国々が同じ状況になってくるので、四日市モデルが日本モデルとしてアジアに広がっていく。昔を知っている人に「その原型は四日市だよ」と言ってもらえるのが夢ですね。

 

取材後記

四日市モデルを仕掛けてうまく進んだのは、住み分けで周囲と競合しないという理由以外にも、茶髪の若造が「この田舎で日本一のクリニックを作るんです!」と言っていたから「何を言っているんだか」って警戒すらされなかったというのもあるでしょう、と石賀先生は悪戯っぽく笑います。

何事も短期間で実現させていく石賀先生の姿を、驚きを持って見ている人も多いのではないでしょうか。一方で「一日一生、という言葉が好きです。千何百人も看取ってきた中で、ああ、格好いい人生の終え方だなあって、見習いたい方もこれまでたくさんいらっしゃいました」と話される表情はとても謙虚で穏やか。「今、自分は修行をさせてもらっているんだなと。悔いのないように、今日やりたいことは今日やろう、みたいなことをいつも思っているんです」と、笑顔でお話しされていたのが、印象的でした。

 

◎取材先紹介

医療法人SIRIUS いしが在宅ケアクリニック

〒512-8048
三重県四日市市市山城町770番2
TEL:059-336-2404 FAX:059-336-2405

http://www.ishiga-cl.com/

            

           (取材・文/磯貝ありさ、撮影/日置成剛)

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