住民参加型コミュニティで町田市の地域医療を支えてきた医師の半生とは。 -医療法人社団公朋会 西嶋医院 院長 西嶋公子-

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JR成瀬駅から車で10分ほどの落ち着いた住宅街にある西嶋医院。明るいレンガ作りの建物の1階には診療所、地下1階に訪問診療部門、居宅介護支援事業所、訪問看護ステーション、2階にデイケアが併設されています。この地で長年地域医療に携わってきた院長の西嶋公子先生は、医院での診療だけでなく、訪問診療、ケアセンターの設立など介護分野の充実にも力を注いでいらっしゃいます。医師として大切にしている思いや、住民参加型の介護システムを実現させるまでの経緯についてお話を伺いました。

☆記事の最後に西嶋先生が講師を務める地域包括ケアセミナーの案内があります。

<プロフィール>

西嶋公子(にしじまきみこ)先生

医療法人社団公朋会 西嶋医院 院長

1970年に東京医科歯科大学を卒業後、国立小児病院、国立療養所神奈川病院での勤務を経て、1979年に西嶋医院を開設。診療の傍ら白血病のDNAに関わる酵素の研究を進め、博士号を取得。1989年に住民ボランティアグループ「暖家の会」を結成し、ケアセンター成瀬を開設。現在も理事長として運営に携わっている。2014年に“地域住民の健康を支える医師”として、第3回「日本医師会赤ひげ大賞」を受賞。

 

小児がんを専門にターミナルケアに取り組む

先生はなぜ医師になろうと思われたのでしょうか?

中学2年生のときに見たドキュメンタリー番組がきっかけですね。視覚障害の子どもたちが「目がほしい」と切実に訴えているのを見て衝撃を受けました。涙が止まらなくなり「医師になろう」と決めたのです。

私の兄は私が生まれる前に結核性の髄膜炎で亡くなってしまったのですが、その兄が「自分は親に先立つ不孝者だから、必ず生まれ変わって親孝行がしたい」と言い残していたそうです。兄の言葉を受け継いだように、その後生まれた私が医師になり、父と母の介護をしたのですから不思議ですよね。

 

▲生まれたのは疎開先の富山県八尾、“風の盆”で有名な場所。「兄は病気の診療で日野原重明先生にお世話になっていたことがあり、医師を目指した時期もあったようです。戦時中、手に入りにくくなっていたアスピリンを、先生が兄のために融通してくださいました」と語る西嶋先生。

 

大学卒業後は小児がんを専門にされたそうですね。

ええ。研修医時代に急性骨髄性白血病の女の子の主治医になったのですが、“2人目のお母さん”というぐらい懐いてくれました。それがきっかけで小児がんを専門に学ぼうと思い、国立小児病院の血液科に5年間勤務。はじめは「無給でもいいから勉強させてください」と頼み込んで入れてもらいました。

診療した約100人の子どもたちのうち、98人は亡くなってしまう。当時はまだ治療技術が進んでいなかったため、専門病院でも救えなかったのです。治せた2人のうちの1人は、今でもこの医院に通っています。多くの子どもたちの終末期医療を経験したことで、ターミナルケアが自分の一生をかけて取り組む課題だと思うようになりました。

 

小児のターミナルケアは、特に難しいと聞きますが…

病気に苦しむ子どもとその家族のケアはとても重い問題です。白血病の最後の段階では、高熱や出血などの症状が次々と襲ってきます。医師として何もしてあげられない状況で、ご両親と手を取り合って泣くしかない……。無力だと感じることばかりでした。

そこで難治疾患研究所という東京医科歯科大学の研究所で、白血病の研究をしようと考えたのです。日本で初めてRNaseHという酵素の研究に取り組んでいる先生がいらっしゃったので、酵素をテーマに学位を取ろうと決意しました。

 

-西嶋医院を開設されたのも同じ頃ですよね。

はい。34歳のときに自宅の一部を改築して、小児科・内科の西嶋医院の診療をスタートさせました。水曜の休診日のたびに御茶ノ水まで通い、夜遅くまで研究。母からは「そこまで苦労してやらなくても」と言われましたが、絶対に諦めるわけにはいかなかったのです。

研究には白血病の子どもから10ccもらった血液を使っていますし、実験用ラットも犠牲になっている。何としてでも成果を出さなければならないと思い、7年がかりで研究を進めて1982年に博士号を取得しました。白血病研究においての一つの新知見になれたと思います。

 

往診で知った疲弊する家族介護の現状

往診を始められたのはいつ頃からですか?

1979年に医院を開設した直後から、寝たきりの患者さんへの往診依頼が来るようになりました。当時は女性たちによる家族介護がメインで、私たち医師が月に1、2回訪問することが一体何の役に立つのだろうと思うくらい、皆さん本当に苦労されていたのです。

そこで他の介護現場を知るために、国内で先駆けて介護施設と医療機関を一体化させた病院へ見学に行ったり、訪問看護に同行させてもらったりして、いろいろな立場の方の話を聞くうちに、住民参加型の仕組みこそが必要なのではないかと思い当たったんです。それがボランティアグループ「暖家の会」の発足につながっています。

 

▲ケアセンター成瀬。開設のきっかけとなったのはボランティアグループ「暖家の会」。その名には「暖かい家庭で最期まで暮らしたい」という思いと、ドイツ語の「Danke(ありがとう)」の2つの意味が込められている。

 

-すでに地域包括ケアを見据えられていたのですね。

家族介護には限界があり、医療職や介護職だけでサポートしていくことは難しいと感じました。

私自身、認知症の父を介護したときに、高齢者がおかれている状況を見てショックを受けた経験があります。父が入院した当時の老人病院では流動食のような食事しか与えられず、身体拘束も日常的。甘いものが好きな父のためにプリンを差し入れると、「勝手に物をあげないで」と叱られるんです。これでは上野動物園のサル山ではないか、と憤りを覚えました。

父や母の世代だけの問題ではなく、いずれ自分にも起こること。そうならないために何ができるか、行政や誰かがやってくれるのを待っていてはいけない、そう思ったんです。

 

ボランティアグループ「暖家の会」の結成

暖家の会の活動について教えてください。

ボランティアスタッフは30~80代まで幅広い年齢層で、“専門職ではない人にできることは何か”、“自分たちがケアされる側に回ったときにどんなケアを望むのか”、という考えを活動の起点にしています。

1991年には日本の介護実態を知るために、10回にわたる「高齢化社会の生き方セミナー」を開催し、終末期医療に携わる医師や訪問看護師、介護を体験したご家族を招いた講演や、高齢者・障害者向けの衣服をテーマにしたファッションショーなどを行い、トータル2000人以上の聴講者が集まりました。

 

▲「海外視察でキューブラー・ロス(アメリカの精神科医/1926年-2004年)のレクチャーを受けられたことは素晴らしい体験でした」。肉体を“サナギ”に魂を“蝶々”にたとえて、「死は肉体的な苦痛から魂が解放されて自由になること」とする氏の考えに感銘を受け、死の不安を抱える患者に話している。

 

地域コミュニティーの中心となるケアセンターを開設 

ケアセンター成瀬はどのような経緯で開設されたのですか?

暖家の会の活動の中で、地域コミュニティーの中心となって情報を発信したり受けることができる場所が必要でした。そのため1992年にセンター建設を求める4500名分の陳情書を提出。地域の中をローラー作戦で回ってわずか2ヶ月で署名を集めたんですよ。

このケアセンター成瀬はケアも食事もサービスもすべて自分たちの手で運営していく方向性でした。その新しい仕組みが認められたので、町田市の600坪の公有地に建設許可をいただけました。

 

-開設にあたって住民アンケートを実施されたとか。

どんなコミュニティセンターが求められているか、少数のプロジェクトチームで決めるのではなく住民の意見を聞きたかったんです。暖家の会と自治会で約4000世帯にアンケート用紙を配り、回答があったのは2000世帯。50%のとても高い回答率でした。

アンケートの中では「子どもの世話にならずに、社会的なサービスを使っていきたい」という答えが90%に上りました。「近くに高齢者サービスセンターができたら利用しますか?」の問いにも、90%の人が「利用したい」。

驚いたのは、ボランティアで運営に参加したいと答えた人が1200人もいたこと。サービスを受けるだけでなく、提供したいと考える人がいかに多いかが分かりました。その結果に「これならできる!」と自信が持てました。

 

そして1996年ついに開設。

開設当初、私は施設長として運営に携わりましたが、欠かせないのがボランティアスタッフの存在。センターでの食事サービスはすべてボランティアスタッフによるものです。「やりたい」という気持ちを大切に、無理にお願いすることはありません。

車の運転が上手な人には送迎を、手先が器用な人には備品作り。ベッドカバーをパッチワークで作成し、1年がかりで完成させたこともあります。スタッフの皆さんには得意な分野で力を発揮してもらっています。

 

▲センターではデイサービス、訪問介護、居宅介護支援を提供している他、2階には特別養護老人ホーム20床を開設。ボランティアスタッフが運営するカフェは交流スペースとして利用されている。地下一階部分に広々とした庭があり、全フロアから眺められる。

 

かかりつけ医として患者の人生の伴走者に

先生は現在も診療を続けられていますね。

西嶋医院での外来診療は午前中だけですが、多いときには一日に30人以上訪れることもあります。訪問診療をしているのは200人ほど。個人宅と施設の患者さんが半分ずつです。常勤のドクターが1人と非常勤が2人、分院の院長にも手伝ってもらっています。

訪問診療だけをメインにしないのは、残された家族のケアを大事に考えているから。訪問診療は患者さんが亡くなると終わりですが、医院の外来でご遺族の様子を伺うことができます。大切な家族を失っても人生は続いていく、それを支えるのがかかりつけ医の役割だと思うんです。

 

-先生が考える理想のターミナルケアとは?

信頼関係を築き、患者さんの人生そのものを理解しなければ、よいケアはできません。たとえ認知症ですぐに忘れてしまうとしても、きれいなものを見たり、おいしいものを食べたりした瞬間は生きている喜びを実感できるはず。生きる意味を感じられるケアを提供することが重要なのです。

小さなお子さんたちにもぜひ介護の現場に触れてほしいですね。人間の最期の時間を共有することは大きな学びになりますから。

 

▲センターの正面口に面した壁に描かれている「生命の木」。花が満開の若木と実り豊かな紅葉、季節の移り変わりが人の一生と重なる。誰もがその人らしく輝いて生き、最期を迎えてほしいという祈りが込められている。

 

-これからの在宅医に必要とされることは何でしょうか。

大切なのはどのような意識で取り組むかということ。ただ看取りができればよいわけではありません。在宅だけでなく病院や施設などの選択肢も取り入れながら、患者さんが望む最期を迎えられるようにする必要があります。

これからの在宅医には認知症やがん緩和ケアへの対応も重要です。また地域の中心となって医療・福祉を展開するために、住民との関係づくりも欠かせません。

 

-今後の活動についてお聞かせください。

地域包括ケアに取り組んで30年以上経ちますが、終末期ケアの選択肢は増やせたと思います。これまで私が培ってきたノウハウを多くの人に伝えていくとともに、在宅医育成のためのプログラム作りにも力を注いでいきたいです。

医療保険や介護保険を使った公的なサービスと、ボランティアや住民の会による食事や掃除などの個別サービス。それらをニーズに応じて組み合わせながら、一人ぼっちで死なせない街づくりを進めていきたいと考えています。

セミナー&視察研修のお知らせ

8月27日に東京ビッグサイトで開催される「地域包括ケアセミナー」。”ひとりぼっちで死なせない街づくり”をテーマに西嶋先生も講演をされます。11月にはスウェーデンの地域包括ケアシステムの視察研修が行われます。興味のある方は以下の情報をぜひチェックしましょう!


取材後記

終始にこやかに微笑みながら話される様子からは、先生がこれまで誠心誠意、一人ひとりの患者さんに向き合ってきたからこそ生まれる自信や誇りが伺えました。温かく寄り添う診療で「先生の顔を見ただけで安心する」という患者さんが多いのも頷けます。町田市で成功した地域包括ケアの仕組みを全国に広め、どこでも同じレベルの在宅医療が受けられるようにしていきたいと話されていたのが印象的でした。

 

◎取材先紹介

西嶋医院

東京都町田市成瀬台3-8-18 1階
TEL 042-726-7871
FAX 042-726-6452
http://www.danke.jp/nishijima_iin/

 

(取材・文/安藤梢、撮影/菅沢健治)

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