2006年に開院した要町ホームケアクリニックは、実は1994年から要町病院の在宅医療部として往診をスタート。すでに20年以上にわたり在宅診療を行っています。要町ホームケアクリニック院長であり要町病院副院長でもある吉澤明孝先生は、がん末期患者への緩和ケアの必要性を唱えた第一人者であり、さらに在宅医療というスタイルを積極的に終末期医療へ導入された最初の医師でもあります。業界の第一人者として学会や勉強会の理事や世話人、評議員を多数務められながらも、日々往診や外来、入院患者のケアも行っている吉澤先生に、これからの在宅医療のあり方についてお話を伺いました。
<プロフィール>

▲吉澤明孝(よしざわ・あきたか)先生
医療法人社団和顔会 要町ホームケアクリニック 院長
医療法人社団愛語会 要町病院 副院長
1989年日本大学医学部大学院卒業(外科系麻酔科学専攻)後、癌研究会附属病院麻酔科へ勤務。1994年に要町病院麻酔科部長・在宅医療部長に就任し1995年から同院副院長に。2004年から東京慈恵会医科大学麻酔科学教室に非常勤講師として登壇。2006年には在宅診療を中心とする要町ホームケアクリニックを開院し同院院長に就任。2007年東京医科歯科大学大学院非常勤講師、2010年東京慈恵会医科大学腫瘍血液内科非常勤臨床医長(緩和ケアチーム)
<所属学会>
日本緩和医療学会代議員、日本呼吸ケア・リハビリテーション学会評議員、日本在宅医療学会評議員(2015年同学会会長就任)、日本レーザー治療学会評議員、日本ペインクリニック学会認定医、日本麻酔学会指導医、東洋医学会認定医、緩和医療学会暫定指導医、在宅医学会認定指導医など
<その他>
全国在宅医療推進協会副理事長、CART研究会副代表世話人、城北緩和医療研究会世話人、多施設緩和医療研究会世話人、GHPCS研究会副代表、日本ソシオエステ協会顧問、東京都がん対策推進委員、東京都緩和医療研究会代表世話人、日本大学医学部同窓会理事、豊島区医師会理事など
目次
緩和ケアの重要性に気づき、専門外来や在宅医療部を設立
-もともとは麻酔科ご出身とお伺いしました。
大学院卒業後は豊島区大塚の癌研究会付属病院に麻酔科医として8年ほど勤務しました。
当時はまだ緩和ケアという概念もなく、がん末期の方が痛みで苦しんでいても適当な処置が定められていない時代だったため、目の前で苦しんでいる患者さんの姿をどうにかして助けたいという想いがあってもなすすべがありませんでした。
医師同士の横の連携もほとんどなかったため、比較的話ができる外科医と共にこっそりと痛みを緩和するためのモルヒネ注射を打つなどで個別対応をしていました。
とはいえ痛みで苦しんでいる患者さんがあまりに多すぎるので、医師としてもっと何かできないかと思うようになり、当時の院長に直訴をして、痛みを和らげることを目的とした医療の提供を始めたのです。
これが日本初の緩和ケアチームになりました。
-ここから緩和ケアを本格的に行われるようになったのですね。
この分野で患者さんを助けていきたいと強く思い、父が立ち上げ、現在は兄が院長を務める要町病院に戻り、緩和ケアや麻酔科(ペインクリニック)といった外来を新たに立ち上げました。
現在も入院患者の80%程度ががん末期患者さんで、緩和ケアを中心とした治療を行っています。
-在宅医療も緩和ケアの一環で始められたのでしょうか。
病院でのケアには限界があると気づいたことが、在宅医療へ注目したきっかけです。
当時、頭頸部がんの末期で入院している患者さんがいらっしゃったのですが、奥さまからもう一度自宅の敷居を跨がせたいという相談を頂きました。
当時は、CVポートや胃瘻といった治療法もありません。
毎日大量の点滴を行っている状態でしたので、正直自宅療養は難しいという意見もあったのですが、「じゃ、私が毎日ご自宅まで注射に行きますよ」と言って。
今のような便利な注射器が当時はなかったので、病院で使っていたエラスターなどを持っていき、スタッフ2名と一緒に組み立てて、自宅でも点滴ができる手作りの注射器を用意しました。
準備は慣れないことも多く大変だったのですが、実際に在宅医療を始めてみると、病院ではずっと無表情だった患者さんが笑顔でいらっしゃるんですよね。
しかも飲み物も、少しだけですが摂取できるようになって。
その後2ヵ月ほどでお看取りをさせていただきましたが、患者さんも奥さまも幸せそうだったことがとても印象的でした。
この一件から、病院で最期を迎えることが患者さんにとって本当に幸せなのかと考えるようになり、在宅医療を積極的に取り入れるようになりました。
在宅医療が100%ではないことに早期に気づいた
-そこから要町病院で在宅医療部がスタートしたのですね。
1年ほどで50名弱の方が自宅でのお看取りになったと思います。
そんな形で在宅医療をどんどん積極的に行っていたところ、ある時、在宅医療が適しないケースに出会ったのです。
-といいますと具体的にはどんなものでしょうか。
大学教授をされていたがん末期の患者さんのケースでした。
入院中は看病に来る奥様に対して命令口調でお話をすることが時々ありました。
とはいえ夫婦の関係ですのでそれほど気にしすぎず、患者さん本人も在宅での診療を希望していたので在宅診療に切り替えて診察を続けたのですが、お看取り後の家族ケアで何度かお会いした際に、奥様から衝撃の言葉を頂いたのです。
「在宅をしなければ良かった」と…。
この時、家族の支えがあるからこそ在宅医療は成り立つのだと改めて学ぶことができました。
在宅診療におけるキーパーソンは患者さん本人だけではありません。家族も同様だと。
当時は在宅医療を行っている病院は皆無でしたので、患者さんや家族とのやり取りから学ぶ手探りの日々でした。
このケースを踏まえ、その後は家族のケアも含めた在宅診療へとさらに発展していきました。
立ち上げ当初は要町病院の在宅医療部として診療を行っていましたが、2006年の法改正以降は要町ホームケアクリニックとして、在宅医療専門クリニックで往診を行っています。

▲「当時、病院で看取ることに疑問を感じていた私にとって、在宅医療という発想はまさに理想的な看取りだと思っていました。ですので当時はほぼ全ての患者さんに対して積極的に行っていました。そんな中、奥様のこの一言は本当に青天の霹靂でした。」と話す吉澤先生。
在宅医療の「質の担保」が喫緊の課題
-当時と比較すると制度も整った昨今ですが、逆に気になる点などありますか。
在宅医療は決まった日時に決まった医師が往診することで家族とのコミュニケーションをしっかりと取ることができます。
私は現在でも毎日、往診とあわせて外来での診療や入院患者の診療も平行して行っていますが、以前なら24時間365日、一人の医師が寝ないで対応することもよくある話でした(笑)。
しかし最近はさすがにそうはいきませんので、複数の医師や当直医が患者を対応する時でもきちんと在宅医療の質を担保できる仕組みを作らないといけないと感じています。
-具体的に質の担保とはどんなものでしょうか。
複数の医師が患者を担当する場合、責任の所在が不明確になることがあります。
大病院のケースで例えると、糖尿病や腎臓病など複数の病気で入院している患者さんに対して、手術が終わると医師が少しずつ距離を置いてしまい、患者の容体や症状をしっかり把握できている医師が不在になってしまっているという状態です。
在宅医はかかりつけ医ですので、複数の医師で診察を行う際には副主治医制にするなどできちんと担当を決めることが大切だと考えています。
-法整備の面ではいかがでしょうか。
昨年の法改正によって、以前よりもグッと楽に在宅医療に参入できるようになりました。
そのため医師に限らず、介護施設事業者等が組織的に医療分野へ参入してくる事例が増えてきていますね。
2030年には現役世代1人が1人の高齢者を支える人口ピラミッドになると言われている中、我々医師主導の医療サービスだけでは高齢者医療を補い切れない可能性もありますし、時代にあった流れではないかと思っています。
ただし先ほど同様に、企業主導の医療であっても、医療の質はきちんと担保された状態であるべきだと考えています。

▲「2030年には一人の高齢者に対して一人の現役世代がいる人口比率になります。そうなれば我々医療機関だけでは対応できなくなる可能性が大きいので、介護施設等の異業種から医療分野に参入してもらうことはとても大切なことだと思っています。」と将来を見据える吉澤先生。
それぞれの得意分野を活かした多職種の協働を推進したい
-在宅医療の質を担保するために働きかけていることなどありますか。
豊島区は地域医療構想の一環で「在宅医療連携推進会議」という活動を積極的に行っています。この会議では医師、歯科医、薬剤師などが連携して情報交換を行っており、在宅医療をトータルでサポートするための体制を自治体が主導となって整備しています。
私も立ち上げ当初から在宅医としてこの会議に参加しており、スタートしてから5年以上経った今は、当初は在宅医療や包括ケアシステムのことを全く知らなかった医師達も今では専門知識を学び、また実際に医院同士での地域連携が始まってきています。
-医師同士でも地域連携が必要になっているのですね。
他の医院から終末医療や緩和ケアの相談が来た際には、事前に医師と患者さんの間でコミュニケーションが取れているかを確認しています。
しっかりと取れているのであれば、私は緊急時のみの介入として、通常の診療は今まで通り医院で診てもらうようにしています。
大切なのは、地域の医師と一緒に患者さんをサポートする点です。
それは地域ぐるみで高齢者を支えることに繋がりますね。
私はこれを多職種連携の一歩進んだ形として「多職種連動」と呼んでいます。
在宅医療の本来の姿とは、地域ぐるみでの医療の提供だと考えています。
-それぞれの先生が得意分野を活かして「協働」するのですね。
これは医師に限ったことではありません。
この地区は豊島区の中でも西部包括エリアと言い定期的に情報交換会を行っていますが、
先日当院食堂で会議を行ったところ、ケアマネ、訪問看護師、薬剤師、医師、さらに当院のリハビリ担当や看護師などが参加し総勢60名ほどが参加するものとなりました。
我々の地域の特徴としては、フラットな環境で意見を言い合えることです。
ケアマネが私の携帯のメールに直接連絡をしてきたり、気軽に病院の窓口に相談に来たりと、全員がフットワーク軽く動いています。この会でもまさに、「西部包括は『協働』でいきましょう」という話をしたばかりです(笑)。

▲在宅医の考え方の変化を語る吉澤先生。「学会で講演させていただく機会も多いですが、若い参加医師からの質問で、休暇やストレス発散方法について聞かれることが増えました。最初は正直驚きましたが、こういった時代の変化は当然だと思うので、我々も逆にそれにあわせて変化することも大切だと思っています。」
患者、家族、そして地域を大切にする気持ちが大切
-これからの地域医療を担う在宅医へメッセージをいただけますか。
私の頃は大学病院などで10年ほど修行をするのが一般的でしたが、最近は若くして専門医になられる方も増えてきました。
もちろん時代の変化ですので、これは自然な流れだと思っています。
ひとつ言うとすれば、在宅医は病気を積極的に治す診療ではなく、患者と家族の生活を支える医療ですので、医学的知識だけではなく社会的・福祉的思想なども必要となるという点でしょうか。
患者と本当に家族になったつもりで、その人の身になったつもりで接する気持ちが大切だと考えています。
-在宅医としての気持ちのあり方などはいかがでしょうか。
私は医療において大切なものは「傾聴」「共感」「手当て」「ユーモア」だと考えています。
そしてその中でも特に、在宅医療においては「ユーモア」が大事です。
ユーモアを持って接することで家庭に笑顔が生まれます。
ですので私は往診の際に、患者さんのケアはもちろんですが、家族の肩を叩いて「ばあちゃんも、ちゃんと飯食べれてる?ばあちゃんが倒れたら、じーちゃんはおうちにいられなくなるんだからからね」と優しく、ユーモアも込めて家族の皆さんをサポートするようにしています。
認定医や専門医といった資格を取得することも大切ですが、人間として豊かな包容力を持つことも大切ではないかと考えています。
-これからの医療全般に対して一言いただければ幸いです。
当院には100人以上のスタッフが勤務しているので、経営者として彼らを路頭に迷わせないようにすることもとても大切です。
私は病院経営にも関わっているので、地域医療構想や国の施策に対しても少し異なる視点で見ているかもしれませんね。
以前看取った患者さんのお子さんやお孫さんが来院するケースも多い当院では、地域に根差して長く愛される病院を作ることが使命だと考えています。
地元の方が利用しなくなったら、もうそれは、病院経営を辞める時だと。
私が担当している緩和ケアや院長の兄が行っている呼吸器の診療は、手術などと異なり正直点数が高くないので病院経営においては厳しいこともあります。
ですが、やはり地元の方々が求めている医療サービスを提供することが我々にとって第一なのです。
がんの患者さんへの腹水治療で行うCART(カート)などは、点数は高くなくても積極的に実施しているので、実は当院が日本一の治療数なんですよ。
当院の場合、基盤となる病院があってこその在宅医療だと考えています。
これからも「地域のかかりつけ医」として医療サービスを提供していきたいという想いで、日々診療を行っています。
取材後記
緩和ケアや在宅医療における第一人者である吉澤先生は、現在も日々往診、外来、入院対応と忙しく診察をされています。お話をお伺いすると、お休みの日も患者さんが気になってしまい、学会出張の日以外は年末年始も含めて毎日病院に来られているとのこと。
時々の息抜きの際には、ご家族との食事を大切にされているという吉澤先生。ご家族はもちろんのこと、病院のスタッフさんや地域の住民のみなさんへ対してもきっと家族と同じように温かい想いを馳せて尽くされているのだと感じました。
◎取材先紹介
医療法人社団和顔会 要町ホームケアクリニック
TEL:03-3957-7501
http://www.kanamecho-hp.jp/homecare/index.html
医療法人社団愛語会 要町病院
TEL:03-3957-3181
http://www.kanamecho-hp.jp/index.html
<取材・文 ココメディカマガジン編集部 /撮影 菅沢健治>